//Aki Tanaka

Aki Tanaka

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Fashion Editor/Art Curator/Bar Hopper ファッションをとりまくカルチャー全般が好き。撮影時もちょっとしたStylingは自分で組みます。座右の銘は「もつべきものは友、のむべきものは酒」。代表作はひとり酒をテーマにした「酒と街とマスターと女」連載。平日BARハシゴ、週末ARTギャラリーハシゴの日々。好奇心旺盛で人見知りをしないので、センスのある人に積極的にインタビューしていきたいです。
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田中あきさんの”マイストーリー”

クリエイティブな仕事をしているクリエイターやアーティスト。現在の生き方に至るまでの原点やターニングポイントはどのようなものなのでしょうか。

今回はBORDERLESSインタビュアーとしても活動する田中あきさん。彼女の物語とは?

小さい頃からファッションが大好き、特にCITY GIRLであることにこだわり続ける

中・高と学生時代が渋谷界隈だったので、90年代は原宿と代官山をとにかく歩いて人間観察やウィンドウショッピングばかりしてました。アムラーかと言われるとシノラー派だった中学時代、2000年以降は裏原ストリート系が好きで、高校時代は東京で買いそびれたアイテムを親の転勤先の福岡で買うなど福岡フリークになる(椎名林檎の故郷行脚してました)ものの、大学は1年から4年まで都心が拠点であることにこだわって東京の大学を選びました。
HIPHOPにもハマりDJ機材を買ってダンスを習い、B系ファッションでクラブに行ったりしてましたね。ちょうど、2018年SacaiやFREAK’S STOREがManhattan Recordsとコラボバッグを発売し、話題になりましたが、私はDMR(Dance Music Records、宇田川町にあったレコードショップ)の袋で大学に通ったりしてました。

ちなみに大学在学時、当時のストリートスナップの聖地だったGap原宿店でバイトをしていて、そこで知ったVMDという職に没頭していきました。深夜にショーウィンドウや店内レイアウトを変える作業は本当に楽しくて、服を売るという考え方は、魅せるというアプローチに180度変わりました。

2014年POP UP STORE青山のVMD

そんななか就職はアパレルには進まず、憧れていたファッション誌の編集者を志望します。好きだったものの休刊した「Ollie girls」復活を切望し「Ollie」編集部があったミディアム社でインターンを経て、大学卒業後はインフォレスト社の「Samnurai magazine」のガールズ版「nadesico」の創刊に携わります。この頃は徹夜ばかりの奮闘の日々でした。

紙面からWebコンテンツへ。時代とともに表現方法が変わるタイミングこそチャンス

その頃じわじわと誌面のweb化が始まり、紙にこだわりたかったり忙殺されていたりだったことから、いったん編集者を辞め、体を動かすVMDの仕事に戻ります。体だけでなくプランニングで頭も使うし、人材も確保・育成したりと毎日がめまぐるしく過ぎていきました。デジタルマーケティングの時代に突入し、SNSを使ったメディア戦略が盛んになってきたタイミングで、ファッションコーディネートアプリ「Sutarepi」の編集長という形で編集職に戻ります。

ファッションコンテンツ撮影時のオフショット

ファッションが好きなだけではメディアは成り立たない

新卒の頃に抱いていた、30歳で編集長になるという夢は果たせましたが、日々の編集業務と営業の折り合いがつかず、やむなくアプリは終了します。スタイリストがユーザーのリアルな声で繋がれるコミュニケーションツールだったことと、スマホで仕事ができるのでパラレルワーカーのプラットフォームとしても先駆け的だったので勿体なかったですね。その後はファッション×ITという分野に特化しつつ、DifaやSILLY、Snapmeeなどいくつかの媒体でライターとして活動していました。

フリーランスにならなくても、いろんなことにミーハーに首をつっこむべき

VMDとしては、2005年にアパレルブランド「Banana Republic」の日本上陸に先がけ、新店舗のSET UPを担当し、その後もさまざまな店舗のショーウィンドウや内装、スタイリングを手がけました。スタイリングコンテストで全国1位になったときは嬉しかったです。編集者としては2006年、新雑誌nadesicoを立ち上げ。2010年雑誌ELLE girlのShop girl to Stylistセミファイナリストに。この頃、独立しようか悩みましたが、会社に属しながらSNSで個のブランディングをすることに賛否両論あったため結局会社員として帰属。スラッシャーやパラレルワーカーという言葉なんて存在しなかったですし、否定的な意見も多かったですね。年間でファッション誌GISELeの読者マーケティングにも携わり、その後はデジタルマーケティングの一環で、SNAPサイトやSNSにコーディネートなどの素材提供も行っていました。

BORDERLESSを通じて、クリエイターたちが創造するカルチャーを楽しみたい

ファッション×ITは今後も時代の流れに合わせて追っていきたい分野です。それはFashion Editorとしてだけではなく、コンテンツディレクターとして映像作品を通じて伝えることに展開していければいいなと思っています。また、平日Bar Hoppingをするように、週末ギャラリーをハシゴしているので、Art Curatorとしても活動の幅を広げていきたいです。

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