//YASUAKI ARAI

YASUAKI ARAI

何をしたいかじゃなく、どうなりたいかが大事だ。

Photo by unsplush

仲良くなったお客さん(男性)と一緒にご飯に誘われ食事に行くと、「君は将来どうなりたいの?」
開口一番にそう聞かれたものの、新潟の大学で知り合った人たちと長くいたいから大学院にすすむことを選んだ自分にはしたいこともなくて「いやー、それが全然ないんですよ。ただ、今のインターン先が工場なんですけど研究職は自分にあってない気がして。」「でも自分のなりたい人間像がないと、流されてあってない仕事をする羽目とかになっちゃうよ?」「じゃあ、どおすればいいんですかー!」みたいなやり取りをしながら、将来のことについて話あいました。

その人いわく、「願い事がなんの不自由も無くかなってくれるとしたら何がかなってほしい?100個願いが叶うとしたら?願い事いってみて。」と言って、願い事を言うように促されて。当時の自分は欲しいものがたくさんあって、バイクのハーレーがほしい。シルバーアクセサリーがほしい。いいカメラがほしい。などの物欲から始まり、些細なことからどんどんと願い事をいっていきました。
50個くらい言うと、もう願いが出尽くしていて、要約すると「経済的に不自由しない」「精神的に健全」「肉体的に健康」「人間関係が良好」「時間がある」そんな願いがかなってたらもうほしいものも無いし、かなり幸せな人生だなぁ。とおもい、それを伝えると、「なるほどなるほど、じゃあそれが全部叶った瞬間に死ぬけどもいい?」と言われて。
ぎくッとしてなんかそれだけだと死ねないなぁ。と思い、「しねないですね。」と答えると「それはまだその先に自分のなりたいことがあるからだよ。」その先は自身で考えてみなさい。と言われその日は別れました。
連絡先は聞いていなかったのでそれっきりだったんですけどね(笑)

当時はインターンシップ先の寮に住んでいたので寮に帰って一人で悶々と考えて。自分がいった50個くらいの願い事がかなったら何をしたいのか、どうなりたいのかを考えていると、話ていたときはすぐ死ぬって言われてそれはできないなぁと思っていたんですが、じゃあどうしたら死んでもいいんだろう?と考えるようになりました。
でもよくよくじっくり考えていくと50個くらいの願い事がかなったら大体のことかなっているし死んでもいいかなとも思えてきて、個人としてはとても満たされた状態だなぁと思っていました。
そこでハッと気付かされることがあって、個人だけじゃだめなんだと。自分が幸せになってもまわりがそうじゃなかったら寂しいなぁと思っていることにそこで気づきました。
じゃあ、自分も幸せで他人も幸せになれるようにしよう。しかも一回で終わりとか、一人で終わりとかではなくて。自分は常に幸せでいたいし、周りの人にもずっと幸せでいてもらいたい。そんな環境が続くようになってほしい。と思うようになりましたね。

Photo by Unsplush

そんな事がきっかけで自分のなりたい人間像が見えてきて。じゃあこの先どうすればいいかというとそれが全然見えなくて(笑)よし、じゃあまずはとりあえず50個の願いを叶えようとなりました。
当時カメラが好きだったので経済的に豊かになるために写真の仕事でなろう!と。
写真の業界ってスタジオカメラマンとかだとだれかに師事して下働きさせられて〜、ってなると給料も低いし、効率的じゃないなとおもって、それでブライダルのカメラマンをやれば単価高いんじゃないかなと思いブライダルのカメラマンになることを決意しました。
他にも「経済的に不自由しない」「精神的に健全」「肉体的に健康」「人間関係が良好」「時間がある」これからの願い事を細かくみていって何が必要かをノートに細かく書き出しました。
土日の休みを丸二日使ってそんなこんなしていると段々と自分がこれからしていくべきことが見えてきて、これはもう大学院にいっている場合ではないな。と。

そこで大学の教授に電話して大学院の推薦を取り消してもらうように言うんですが、教授もいきなりそんな事いわれるもんだから怒られて、お前は何を言ってるんだと(笑)
でも、自分が将来どうなりたいのかを考えて、そのプロセスも自分なりに考えましたって話をするとわかってくれて、「じゃあ校長には言っておく。」と言ってくれて特例で卒業させてもらいました。
あとで聞いたらインターンシップ制度だと基本みんな大学院にいくので前例がなかったみたいです。卒論とかはなかったですが、単位は足りてたので学位はいただけて、感謝です。

そんなこんなでとりあえずカメラマンで稼ごう。みたいな感じで今後の生活を決めました。
東京を選んだのは新潟だと仕事自体が少ないとおもったからとこれから自分がやろうとしていることは知識不足でまだまだ勉強することが多かったのでどうせなら刺激の多いところにいってやるのがいいかなと思ったのと、ミクシで知り合った人の中に同い年で東京でビジネスしている人がいたのでそういう人の影響もありました。
そんなこんなでカメラ片手に東京に行きました。
両親には驚かれましたが反対せず行かせてくれたのでとても感謝しています。