//YASUAKI ARAI

YASUAKI ARAI

“Hard Ship”東京にいってからの生活はどうでしたか? 0からのスタートだったと思うのですが

そうですね、東京には全然知り合いがいない状況でいったので環境的には0からのスタートでした。大学時代よくつかっていたミクシィで知り合った同年代のビジネスしているっていう子が近くに引っ越してきてくれて最初のころはよく彼と時間をともにしていましたね。

彼の行動力を見ていると活動的ですごくて。それで自分も当初決めたことを実行しなきゃ。と思い都内のブライダルのスタジオを探し始めました。大学時代ほとんど単位が取れていたのでほとんど大学にはいかずにクラブで写真撮っていた事もあって界隈で有名なシンガーさんとかを撮影させていただくこともありました。そのシンガーさんがちょうどメジャーデビューしてオリコン上位にランクインするなどをしていたので、その人を撮影した写真を引き伸ばしてブックと呼ばれるポートフォリオを作って自分を売り込みに行きました。
ネットで調べてブライダルとつくスタジオさんや派遣会社を周り、アポなしで飛び込みで、「こういう写真撮ってました面接してください!」って感じで特攻してましたね(笑)
大体のところは急すぎて無理!となるんですが外苑前にあるカメラマン派遣の会社さんが面接してくれて、その行動力が面白いね、と評価していただきそこで働くことになりました。

順調かと思いきや、フリーランスに。

イベントにて

トントン拍子にカメラの仕事ができるようになり意気揚々としてたのですが、そこの事務所さんがカメラマンの登録数と仕事の需要バランスがあっていなくて、カメラマンが多くて食べていけるほど仕事が振られない状況だったんですね。なのでそこの仕事は業務委託みたいな感じで受けるようになり、一旦フリーランスになりました。けどフリーランスといっても体よくいったまでで、要するにニートになりました。
さすがにずっとニートはやだなと思いながらネットで写真の仕事ないかなぁーと探していると、東京にもクラブがあって。渋谷ASIAやBUENOS,ATOMなどクラブが固まっていることがわかって。
新潟ではクラブの数が少なくていろんなジャンルのイベントがやっているんですが東京だとジャンルごとに大雑把にクラブがわかれていて客層もクラブごとで違っているから色んな人がいて面白いなぁとおもってそこで大学時代みたいに写真撮ろうとなって。ミクシィでイベントをやっている人を探して、ギャラ等はいらないので撮影させてほしい。と。二つ返事でオッケーが来て渋谷ASIAやBUENOSでやっていたシンガーイベントやクラブイベントなどの撮影をさせてもらうことになりました。

最初は週一くらいだったんですが週2,3回と回数が増えていき、ギャラも出してもらえるようになりました。そんな状況で数ヶ月が過ぎた頃、イベントのオーガナイザーが「芸能事務所の社長を知っているから紹介するよ。」ということで芸能事務所の社長さんを紹介してもらいました。人気歌手や人気俳優のマネージャーさんをしていた人が役員にいる会社でこれからガツガツやっていこうという感じのベンチャー企業だったんですが、スポーツ選手、俳優、歌手のマネージメント以外にもクリエイターのマネージメントもしていきたいとのことで、良ければそこのフォトグラファー枠で入ってくれないか。みたいな話になり話が進んでいたのですが人員も足りないから手伝ってくれない?という運びになりました。仕事がなかったのもあったのでそれもノリで承諾してそこの手伝いをすることに。

借金して、生活苦に。

そこで所属芸能人の撮影などをするようになり、撮影をしたら写真の補正などをする必要があったのでPhotoshopなどの画像補正ソフトを利用したり、ブログのヘッダー画像のデザインを作るようになっていきました。最初は作り方とかわからないのでGOOGLE大先生に教えを乞いて。「GOOGLE先生、画像 の 修正方法 おしえてくださーい!」って感じで検索して1からわからないことを潰す感じでやっていってましたね。
1年ほどした頃から写真の補正や簡単なバナー画像の制作はできるようになって。仕事が楽しくなってきたときでした。
でもそれとは反して、会社の経営状況はあまり良くなく、多分ですが社長の個人資金でやっている感じだったのでそこまで余裕はなかったと思うんですが渋谷でやっていたので賃料などいろんな経費が圧迫して運営がうまく立ち行かなくなっていっていました。
そんな状況だったので、自分に支払われる賃金なども支払いが遅れ、、1ヶ月、2ヶ月、、と支払いされない日々が続いて、とうとう半年後くらいには貯金がそこをつきてしまいました(笑)
次の日に賃貸の家賃支払い日なのに所持金26円という。