//井坂陽一

井坂陽一

井坂陽一
1982年3月27日生まれ、茨城県出身、O型。16歳でベースを弾き始め音楽専門学校TSMを卒業後、20歳で音楽留学でLAヘ渡米。さまざまなREC、LIVE活動を経るも音楽活動を辞めて2014年、映像音楽制作会社SISeI合同会社を設立。現在、動画スクールTMS講師や芸能事務所(株)AR・マネージメント代表取締役としても活動中。
SISeI


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井坂陽一さんの”マイストーリー”とは?

クリエイティブな仕事をしているクリエイターやアーティスト。現在の生き方に至るまでの原点やターニングポイントはどのようなものなのでしょうか。

ゲームざんまいの10代に喝

中学生の頃は、自分がやりたいことしかやらないような生活でした。ゲームが好きという理由だけで工業高校に入ろうとしましたが、成績がかなり厳しい状況で、シャーペンが折れるほどイライラを募らせながら受験勉強に励んだ記憶があります(笑)

念願の工業高校に入学後も、部活動はせず友達ゲームばかりしている毎日でしたね。運動にもなるので実家の新聞配達を手伝っていましたが、その頃ちょうどバンドブームだったことから、友達とバンドを結成し、ベースを弾き始めました。

本格的に音楽を学ぶためLAに留学

当時はビジュアル系の曲ばかり聴いてましたが、姉の旦那さんとの出会いでメタルに興味を持つようになります。義兄のギターの早弾きを目の当たりにして、音楽の専門学校に行くことを決意。2年間通ったのち、ロサンゼルスにある姉妹校へ1年間留学、日本に帰ってきてからは母校でベースの講師として働きながら音楽活動をしていました。

しばらく講師とバンドの両立を続けていましたが、「音楽で生計を立てていくことが自分の人生においてベストなのか?」と考えたことがありました。

ちょうど別のジャンルのビジネスオファーを受けていて、だったら音楽は好きな時に好きなだけ好きな人とやろうと決め、これまでの仕事をスパっとやめました。

しかし、そう簡単には結果が出ず、悶々としたサラリーマン生活を送っていました。

音楽講師からサラリーマンに転身し、いざ起業!

あるとき、同じビジネスをしていた友人が急に仕事を辞め、まもなく他のビジネスで結果を出したことを知って……目の前の仕事に打ち込むあまり周りが見えなくなっていたことに気づき、その人をはじめ、ひたすらいろんな人に会って自分を取り戻していきました。

直接会って、リアルな情報を集めることって大事だなと痛感。2014年の正月に「今年は絶対にサラリーマンを辞めて社長になる!」と決意し、2014年10月末に年内で退職することを周囲に告げ、12月に宣言どおり会社を立ち上げることができました。

社長という肩書きはあるものの中身がない

サラリーマンを辞めて、社長になるという目的を達成して、当初は晴れ晴れとした気分だったものの、根本となる会社のコンテンツがないことに危機感を覚えました。

会社を辞めることと、立ち上げることだけが目標になってしまっていて、そこから先はあまり考えてなかったと猛反省。

当時は、投資が流行っていたし知識もあったので、それなりのところに投資をしておけば、生活くらいはできる投資額が戻ってくるだろうと楽観的に考えていました。

そんな調子で会社が軌道にのるわけもなく、どんどん手元のお金はなくなっていきました。

なんとなく始めた”歴史会”がファーストコンテンツ

趣味の延長のような感覚ですが、歴史が好きな人たちを集めて、日本酒を飲みながら語る会を開催しました。日本酒が飲みたいだけの歴史初心者もいたのでマニアックすぎないスタンスで始めました。

ただ、築90年の古民家位を借りて、着物を着て、テーマに沿った日本酒を仕入れ、盃に注ぎ、「いざっ!」という乾杯で始まるという気合の入ったイベントです。

そのイベントのオープニング動画も制作したんですが、毎回音楽を作曲したり、回数
を重ねるごとに映像のクオリティが上がっていく感覚が嬉しくって、最初はiPhoneで撮ってたんですが、少しずつ機材を揃えていって今に至ります。

それからは映像の知識も実績もないくせに、映像屋と名乗っては名刺を配っていました。人脈を駆使してひたすら人に会い、映像を見せ、仕事をもらい、どう撮るかなどは仕事が決まったあと考えて、ただひたすら現場で覚えていくような感じでした。参考映像がなければ自主制作し、それを営業資料として見せるような手法でしたね。

もともと好きな“歴史”をテーマにドラマ仕立ての映像でナレーションまでいれて、脚本台本も作っていたせいか、ある程度何がきてもどうにかなるって感じだったんです。

ビジネスライクというよりは、好きが高じたアナログ思考で活動していたので、結果を出すのにかなり時間がかかりましたが、ひとつひとつ仕事をこなしていく中で、徐々に仕事に繋がっていった感じです。

大企業との実績もできてきたあたりから、単価もあげられるようになりましたね。もともと“映像”ד音楽”というコンセプトで立ち上げた会社なので、少しづつ作曲の仕事も増えていき、ようやく映像の制作会社として軌道に乗った実感がわきました。

今はキャスティングに力をいれているので、依頼が来たら映像だけでなく、制作まわり全て任せてもらえるようになろうと思っています!

地方創生で過疎化を救いたい

頭の中に“歴史”というテーマはずっとあるなかで、次にやりたいことは“地方創生”です。営業している際にもずっと言い続けていたことなんですが、日本人は日本のことを知らなすぎると思うんです。若者が都会に出ていき、高齢者は減っていく一方で、地方が抱えている過疎化という課題に一緒に取り組んでいきたいなと思っています。

映像を通じて、まず地方の現状を知ってもらう。日本人にしかできない素晴らしい職人たちの手仕事や、日本の歴史をメディアで発信し、歴史の奥深さを伝えたい。

将来的に、地方にいてもリモートワークでオンライン会議をするなど、家賃や単価が高い都会にいる必要はなくなるんじゃないかなと思っています。

地方は仕事がない、一度都会に出たらなかなか地元には戻らないといった概念を変えていきたい。そのために今は、行政に絡めた提案ができるような人材確保や企画を準備しているところです。

サラリーマンを辞めたとき、いろいろな社長に会って話を聞きましたが、口々に「好きなことを仕事にしなさい」と言っていたことの意味がようやくわかった気がします。

“映像” “音楽” “歴史”……どれも好きなことだからこそ周りを巻き込んで継続できている仕事なんだなと実感しながら、まだまだこれからも小さな積み重ねだとは思いますが、この軸からブレることなく、日本全国を盛り上げていきたいと思います!

映像制作会社SISeI  siseicreate.com