荒井泰明
ブライダルのカメラマンとして上京。渋谷にある芸能事務所を立ち上げながら独学でWEBデザインについて学ぶ。タレントやモデル、歌手などのホームページ制作や撮影を行いながらファッションショーやライブ、ダンスショーを行うイベント会社の代表を務める。自身が独学で学んだ知識で自立できるようになったことからウェブのデザインスクールを開校。その後、写真や映像のスクールなどクリエイティブな人材を育てる事業を行っている。
YASUAKI ARAI』、『株式会社TAIMEI

荒井泰明さんに聞く「あなたのターニングポイントは」

――みんなそれぞれのSTORYがある。――
クリエイティブな仕事をしているクリエイターやアーティスト。かれらが現在の生き方をすることになった原点やターニングポイントはどのようなものなのでしょうか。
当サイト初はこのサービスをはじめた荒井泰明さん。彼の物語とは?

“Getting Started” (「か」過去、始まり)
“Trigger” (「き」きっかけ)
“Hard Ship” (「く」苦労)
“Results” (「け」結果)
“Future” (「こ」これから)

の5ワード「かきくけこ」に焦点を充ててお話を聞いてみました。

自分の好きなことを通じて人を幸せにし続けられる人になる。

LIVE EVENTにて

——”Getting Started”あなたの昔の自分について教えてください。

そうですね、学生の頃は、自分でやりたいことがわからないどこにでもいそうな男子だったと思います。将来の不安等がありながらもやりたいことも決まらず、社会人になるのがいやで学生でい続けることを選んでしまう。そんな学生でしたね。高校時代は、高専という5年制の国立の理系の専門学校にいってました。
NHKで自作のロボットを作ってものを運ばせて競わせたりしているロボットコンテストという番組があるんですが、それに出るような人たちが通う工業系の高校で。
15歳から20歳までの人がいるという、普通高校とは違う、なんとも変わったところで大人と子供が混在しているのがとてもおもしろい学校でしたね。
高専には学校の敷地内に寮があって5年間寮生活をしていました。実家からはちょっと離れたところだったので寮に入るんですが低学年のうちは3人部屋とかで、高校生にして家族以外の知らない複数人と住む生活をしたので今思えば貴重な経験でした。寮も1年生から5年生までいるのもあってか、完全なる体育会系の縦社会で(笑)上級生とすれ違う際はその都度、お辞儀をしなくちゃいけなくて、なんかもう修行みたいな感じでした(笑)

もともと写真は好きだったんですが高専3年生の頃くらいから、写真に興味が出てきて初めて一眼レフを買って。今までのインスタントカメラや写ルンですとかとは違う画質の高さに撮ることに夢中になりましたね。
休み時間とかに遊びながら友達撮ったりしてましたね。けど、作品を作る目的とかそんなのは一切なくて、ただ、楽しいからパシャパシャ写真撮ってるみたいな感じでした。
それと、クラスが電子工学科という科(クラス)だったのでパソコンの授業なんかもあり、プログラムやウェブサイトをつくるためのHTMLとかもそこでちょっとだけやってましたね。座学と違って演習でパソコン等で手を動かしたり、頭で1から考えたりするので結構楽しかった記憶があります。

——”Trigger”なるほど、そこで好きなことが見つかってきたんですね。今の生活につながるきっかけはどんなものでしたか?

Photo by unsplush

そんな感じで楽しく過ごしていたんですが4年くらいのときに、上級生に気になる先輩がいて。その先輩が大学に行ったので自分もそこに行こうと(笑)そんなことで結構簡単に進路を大学進学にしちゃいましたね。
担任の先生に、就職も進学にも有利だぞ。って言われたのをきっかけに生徒会長になったので大学の推薦もなんのことなくいただけてその先輩の進学した大学に推薦入学しました。
まさか、親にはそんな事言えないので、「これからは専門知識が大事だとおもう!」なんて言って大学進学を伝えた気がします。意思を尊重してくれてなんの不自由もなく育ててくれた親には感謝です。

それから進んだ大学が新潟にある技術大学というところなんですが、高専生が編入するためにあるような大学で。1年の頃から通っている通学生と3年時から編入してくる編入組が入り混じった大学でした。
そして、気になる先輩の元を尋ねると、もう付き合ってる相手がいて。そんなの関係無いっていうほどガンガン攻める感じもなく、自然消滅的な感じで恋がおわりましたね(笑)
入ってすぐに、この大学に来た意味を見失ったのでとにかく大学ではキャンパスライフやバイトをして学生生活を楽しもうと思ってました。

当時、ミクシィが流行っていて写真好きな人とつながったりしたのをきっかけでクリエイターさんたちが集まっているコミュニティーにいれてもらって、それを機会に大学外での知り合いがすごい増えましたね。
バイクにも興味があったのでバイク好きな友達ができたりして、その頃はミーハーだったのでいろんな事に興味があってどこにでも顔をだしてました。

そんな中でクラブでDJをしている人たちがいて、はじめて音楽のクラブイベントにいったんですがそれがすごい楽しくて。最初のうちはお客さんで遊びに行ってたんですが途中から一眼レフをもって写真を撮らせてもらうようになりましたね。そこからは毎週末クラブイベントがある度に友達と遊びながら写真撮ったりしてそこで仲良くなった人たちと過ごしていましたね。
この頃が学生時代では一番楽しかった記憶があります。

インターンシップで大阪に行っていて出会った人の一言で人生が変わった。

普通大学で卒業論文を書いて発表を行って卒業の資格を貰える。みたいな感じだと思うんですが、自分がいっていた大学は5年生からはインターンシップっていう制度があって、工学系の企業にいって実際に働いて給料等もらいながら勤めて、研究した内容を持ち帰って大学で発表するとそれが卒業の単位になって、大学院の推薦ももらえる。という素敵な制度があったんですね。
自分は勉強したい欲はそこまでなかったんですが大学外で知り合った人たちともっと長くいたいなとおもって大学院にいくことにしてインターンシップ制度で大阪の企業に行くことにしました。

正確には兵庫県の化粧品材料などを作っている化学系の工場がある企業さんにいって化粧品材料の開発などをやっていました。
前述したような内容で大学院進学を決めたのでインターンシップ先もやりたいことというわけではなく、関西方面に行ったことがないという理由で選んでいました。
なので土日になると大阪や兵庫、茨木などに足を伸ばし一眼レフをもって所構わず写真を撮る。ということをしていました。

大学時代、クラブで写真を撮っていたのもあり、大阪のクラブでも写真を撮りたいとなり三角公園近くのクラブで無許可で撮影してたりしました。
許可を撮ってなかったので会場のスタッフさんからお叱りを受けながらもデータくれるならいいよと言われ事なきを得たんですが、それをみていたお客さんがおもしろいと思い声をかけてくれました。
大阪ではとても人生で影響された人がたくさんいたんですが、その人が今後のキーパーソンになるとは思ってもいなかったです。

Author: AKI

Fashion Editor/Art Curator/Bar Hopper ファッションをとりまくカルチャー全般が好き。ちょっとしたStylingは自分で組みます。座右の銘は「もつべきものは友、のむべきものは酒」。代表作はひとり酒をテーマにした「酒と街とマスターと女」連載。平日BARハシゴ、週末ARTギャラリーハシゴの日々。好奇心旺盛で人見知りをしないので、センスのある人に積極的にインタビューしていきたいです。 instagram:@00candyvoice00